社会システム変容の研究と有識者のコラム集 コラム② 社会システムアーキテクチャ
平成28(2016)年1月に閣議決定された科学技術基本計画において、日本が目指す姿としてSociety 5.0が示された。Society 5.0は、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」(1)と定義されている。これには大きく3つの重要なポイントが含まれている(図1)。1点目は、サイバー空間とフィジカル空間の融合、つまり、それらの間に人が介在することなく、AI等の自動処理によって閉ループが成立することで人が介在することなくシステムが進化することである。2点目は、フィジカル空間がサイバー空間を通じて相互につながることである。そして3点目は、人間中心、つまり実現手段ではなく、生み出す価値に着目していることである。まさにこの3点目の人間中心こそ、ウェルビーイングを示すものであり、人々のウェルビーイングこそがSociety 5.0の目標であることを示している。つまり、1点目と2点目のデジタル技術を活用して人々にとってのウェルビーイングのために価値を実現することであり、国としてSociety 5.0の実現に取り組むことを示しているといえる。このようなデジタル技術を活用したトランスフォーメーションが社会において実現されてくると、そこに含まれる"システム"はこれまでとは異なる性質を持ってくる。このため、社会・産業のあり方を変える必要があり、さらにマネジメントのあり方も変わってくる。
Society 5.0時代になり、我々は新たなデジタル技術を活用できるようになってきた。それはAI、ビッグデータ、そしてIoTなどのキーワードで語られることが多い。しかしながら、本質的には、これらは単なる手段であり、それ単独では大した意味を持たない。しかしながら、これらを活用することでこれまでできなかったことが実現できるようになる。つまり、このような新たなデジタル技術が活用できる時代になり、これまでは目指すことができなかった目的(価値)を実現することができるようになった。単にデジタル技術をこれまでの置き換えと捉えていては決して考えることができないが、新たな手段としてのデジタル技術を持つことで、これまでとは全く違うビジネスを考えることができるようになったと考えればよい(図2)。Society 5.0では、この新たな手段を活用して、これまでは実現できなかった価値を人間中心で生み出すことを目指している。
Society 5.0時代では、サイバー空間を通じてフィジカル空間がつながる。これにより社会・産業アーキテクチャが大きく変わることになる。これまでは、例えばモビリティを活用した社会では、同様のモビリティを活用するための協調領域として道路などのインフラが公共的につくられ、そのインフラを活用する形で社会が成立し、新たな製品やサービスが生まれてきていた。Society 5.0時代になり、デジタルにより異なる分野の製品やサービスがつながる。例えば、モビリティとヘルスケアがつながれば、病院の予約にあわせて自動運転車が家まで迎えにきて、病院に向かう。途中に渋滞が起きれば、それにあわせて病院の予約時間が変更されるなどが行える。このような場合の協調領域はもはや道路ではない。デジタル部分が協調的に活用されるインフラとなる。つまり、これまでは縦割りの社会・産業アーキテクチャにあわせて協調領域がつくられ、それにあわせて社会・産業が発展していたが、Society 5.0時代には社会・産業が横割りになり、デジタルインフラが協調領域となり、その上で新たな価値が提供され、新たな製品やサービスが生まれていく。つまり社会・産業アーキテクチャがレイヤー構造となる(2)。これまでと社会・産業の捉え方を変える必要がある。
この社会・産業アーキテクチャの変化こそが、ウェルビーイングにつながる新たな価値創造のベースとなる。つまり、これまでは縦割りで分かれていたため、それぞれ分断された範囲で実現する価値しか提供できなかった。つまり、モビリティとヘルスケアはそれぞれの範囲での価値を提供してきた。しかし、これらが横串でつながることで、より人々の生活にあった流れ(ジャーニー)で価値提供ができる。上述した、予約時間と配車を連動した価値提供は、新たな社会・産業アーキテクチャがあってこそ実現可能となる。
三つ目の特徴として、急激な変化があげられる。VUCAという言葉をご存知だろうか?VUCAとは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)から構成された言葉である。現在はVUCAの時代であると呼ばれ、先の予測ができない、計画通りにならない時代であるといわれている。世界不確実性指数も増加の一途を辿っている5)。つまり、システムをめぐるものが激しく変化するために、これまでの前例が役に立たなくなるとともに、将来が見通せない時代になってきたということである。社会環境の変化、ビジネス環境の変化、技術の変化、またAIが学習することによるシステムそのものの変化も起きるようになってきた。COVID-19はまさに社会環境の変化を決定づけた一例であるといえる。
しかし、単純に世の中の変化が激しくなっただけではなく、我々自身が世の中の変化を受けやすい社会をつくっている。デジタルでつながる社会は変化の影響範囲を広げることを加速する。それぞれがつながっていないときは、ある対象に影響を与える環境変化が起きても、影響を受けるのはその対象に限られる。しかしながら、複数の対象がつながっていると、ある対象に影響を与える環境変化があると、つながっている他の対象にその影響が伝播する可能性が増加する。つまり、つながる社会は、世の中の変化の影響を受ける可能性が増大することになる。
これまでの多くの仕組みを考えるとき、外部との関係が変化しないと仮定していた。これを"クローズシステム"と呼ぶ。一方で、このように外部との関係が変化すると仮定したものを"オープンシステム"と呼ぶ。我々は暗黙的に"クローズシステム"として、ものごとを考えていた。これは、変化が十分に遅いという暗黙の前提にもとづいていた。しかしSociety 5.0時代ではこの前提が変わってしまう。"オープンシステム"においては、2つのことを行わないといけない。ひとつは、環境の変化が対象に影響を与えることになるべく早く気がつく必要がある。もうひとつは、変化に対応するために、変化に対応しやすくなるようにデザインをしておく必要がある。例えば、前者のひとつのアプローチとして、「一般社団法人ディペンダビリティ技術推進協会(略称DEOS協会)」では、システムの設計時に設計者が、どのような外部環境変化が設計に影響を与えるかを明示化するための手法としてD-Caseを提案している。D-Caseを活用することで、ステークホルダ間で変化に対する合意形成を充分に行うことができ、合意結果/結論に至った理由/議論の経緯を記録することができる。変化する社会ではあらかじめ想定していなかったことが起きる可能性が高まる。だからこそ、きちんと説明をし、合意形成を継続的に行いつづけることが社会としては必要となってくる。
上記のような特徴を持ったSociety 5.0時代には、これまでの改善活動(PDCA)のループの外側にさらに2つのループを用意する必要がある。つまり3重のループである。組織学習論では、内側から順に、シングル・ループ学習、ダブル・ループ学習、トリプル・ループ学習(3)(4)と呼ぶ(図3)。
これまで日本は"改善"で世界を席巻してきた。これは、ある前提をおいて、そのときのやるべきことをより効率的に実施するものであり、図3におけるシングル・ループ学習である。しかし、Society 5.0時代はVUCAであり、その行動の前提条件すら変わってしまう。つまり、シングル・ループだけでは、すでに前提が変わってしまい望ましくなくなってしまった行動を改善することになってしまう。このときには、そもそもの前提を変えることを学ばなければならない。これは図3におけるダブル・ループ学習に相当する。つまり、環境が変化する時代ではこれまでの改善ではなく、ダブル・ループ学習が必要となる。Society 5.0時代にはさらなる学習ループが必要となる。トリプル・ループ学習である。上述したようにSociety 5.0時代には異なる製品・サービスがサイバーでつながる。つまり、ひとつの組織だけが学習するのでは不十分である。つながる先も協調的に学習する必要がある。さらに社会・産業アーキテクチャが変わるということは、これまでの規制やルールでは対応ができないことになる。要するに、社会全体で学習する必要がある。これはまさにトリプル・ループ学習となる。このようにSociety 5.0時代では、学習すべき対象が変わってくることは今後のマネジメントを考える上で重要である。
日本政府も同様の課題認識を持っており、ガバナンスの変革について検討を行ってきた。経済産業省が出した「ガバナンス・イノベーションVer.2」(5)において、ダブル・ループ学習のための2重サイクル(図4)と、それらを束ねた学習としてのガバナンス・オブ・ガバナンスという概念を提案しており、国際的にも高い評価を受けている。
上記のようにSociety 5.0時代には、新たな手段の入手と新たな社会・産業アーキテクチャにより、これまでにない、以前には実現できなかったウェルビーイングを実現するチャンスが生まれてきている。一方で、これまでと同じ範囲で改善をすることは全くの方向違いとなってしまう。これまで考慮していた範囲を超えて俯瞰的に捉えることが必要となる。また、単独で行うのではなく社会として連携していくことでしかつくれない価値をつくりだすことができるようになってきた。個人や企業を超え、協調することが次の時代のウェルビーイングを実現する基礎となる。その上で、新たな価値創造が生まれるための社会構造(社会アーキテクチャ)を実装していくことを政府・企業一丸となって進めるべきである。これまでよりも対象を広く捉え、現在の前提条件を疑う、そのようなシステム思考をベースとしながら、これまでに日本が得意としてきた業界での協働あるいは業界を超えた協働こそがSociety 5.0時代に適したウェルビーイング実現のアプローチであるといえるであろう。
白坂 成功
三菱電機(株)を経て現職(慶應義塾大学大学院SDM研究科 教授)。専門分野はイノベーション創出にむけた新価値創造方法論であるシステム×デザイン思考や、システムズエンジニアリング。2015年~2019年まで内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)プログラムマネージャーとしてオンデマンド型小型合成開口レーダ(SAR)衛星を開発。情報処理推進機構デジタルアーキテクチャ・デザインセンター有識者会議座長、一般社団法人スマートシティ・インスティチュート エグゼクティブアドバイザーをはじめ、内閣府宇宙政策委員会委員、経済産業省グリーンイノベーションプロジェクト部会WG3座長等、政府の各種委員を務める。