地球観測データとAIで人間社会と海洋生態系の共生をめざす地球環境データ時空間分析技術
目次


小林 高士(こばやし たかし)博士(理学)
NTT株式会社宇宙環境エネルギー研究所 地球環境未来予測技術グループ 主任研究員
東京工業大学(現、東京科学大学)理学部を卒業後、2010年に同大学院理工学研究科博士課程を修了。専門は衛星地球観測。国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)にて衛星開発プロジェクトなどに従事。宇宙関連スタートアップ企業の創業・経営にも携わる。2023年11月より現職。AI技術などを利用した地球環境データの分析を行い、人間活動が海洋生態系に与える影響を明らかにするための研究に取り組んでいる。
宇宙環境エネルギー研究所の地球環境未来予測技術グループでは、豊かな人間社会と多様な生物が共生できる地球環境を実現するために、人間活動が環境に与える影響を詳細に分析し、その未来を予測する技術の研究に取り組んでいます。
現在、同グループが主な研究対象としている海洋生態系は、水産物として私たちの食生活を支えるだけでなく、気候調節や二酸化炭素吸収などの機能も備え、地球環境にとって非常に重要なシステムです。一方で、海洋生態系は気候変動や日々の水温・日照量の変化、養殖などの人間活動や河川を通じた陸域からの物質流入といったさまざまな影響を受けながら常に変化しており、その姿を精確に捉えることは容易ではありません。海洋生態系を理解し人間社会との共生を実現するためには、広域かつ継続的な海洋の時空間状況把握が必要です。
この実現に向けて、宇宙環境エネルギー研究所は「地球環境未来予測技術」を大きなテーマに掲げ、さまざまなアプローチで研究を進めています。「地球環境未来予測技術」は、「地球環境データ時空間分析技術」「海洋生態系未来予測技術」「海洋シミュレーション高速化技術」という3つの主要な技術で構成されています。今回はそのひとつである「地球環境データ時空間分析技術」について、地球環境未来予測技術グループの小林高士氏にお話をうかがいました。
1. 海洋の時空間的な変化を明らかにする「地球環境データ時空間分析技術」
小林さんが研究に取り組んでいる「地球環境データ時空間分析技術」とは、どのような技術なのでしょうか?
地球環境データ時空間分析技術は、人間社会と多様な生物が共生する地球環境を実現するため、海洋生態系に関連する対象の時空間的な変化を明らかにすることをめざす技術です。海洋生態系に関連する広域かつ多様な事象について、衛星データなどの継続的に取得された地球観測データと画像解析AI技術を組み合わせた分析を行います。現在は人間活動が海洋生態系におよぼす影響に着目し、河川から海洋への物質流入範囲や沿岸域に存在する藻場の中長期的な面積変動の推定などに取り組んでいます。
また、私が所属している地球環境未来予測技術グループでは、海洋生態系をモデル化する「海洋生態系未来予測技術」と、高精度かつ高速なシミュレーションを行う「海洋シミュレーション高速化技術」の研究も行っています。地球環境データ時空間分析技術が海洋生態系に関連する広域かつ多様な事象を明らかにすることで、他の技術が行う海洋生態系のモデル化やシミュレーションにとっても有用な知見が得られると考えています(図1)。
現在取り組んでいる具体的な事例をご紹介いたします。先ほどお話しした、河川から海洋への物質流入範囲を推定するためのひとつの指標として、河川プルームに注目した分析を行っています。河川プルームとは、河川水と海水の混合により形成された低密度水が河口域から空間的に広がる現象のことです。河川プルーム領域は土砂などの懸濁物質を多く含むことで他の海域よりも明るい海色を示すことがあります。条件や場所にもよりますが、流域にまとまった降水があった後などには宇宙からもよく見える河川プルームが形成されることがあります(図2)。
分析には光学衛星データを利用しています。光学衛星とは、非常にざっくりと言ってしまえば高性能のデジタルカメラを宇宙に持って行ったようなもので、人の目で感じることができる可視光などを使って観測を行っているため、一般的な写真と同様に人の目視イメージに近い画像を広域にわたって取得できることが特徴です。
これまでの衛星データを用いた河川プルームの研究では、衛星データの各ピクセルにおける赤や緑などの各波長の輝度値を組み合わせた指標を作成し、採水などによる現地データと突き合わせて作成した指標にある閾値を設定して河川プルーム領域を決定する、ということが行われてきました。このようなアプローチはある特定海域の特定事象を詳細に調査するためには有効である一方、取得コストの大きい現地データが必要になるなど、適用可能範囲や効率性が課題と考えられます。そこで私たちの研究チームでは衛星データと画像解析AI技術を組み合わせた分析を行うことで、河川プルームの概況を効率的に把握できる新しいアプローチを研究しています。
2. 衛星データとAIを活用して海洋の状況を効率的に把握
衛星データと画像解析AI技術を組み合わせた新しいアプローチについて、もう少し詳しくお聞かせください。
今回ご紹介した事例では、画像解析AI技術のひとつであるセマンティックセグメンテーションという手法を使って衛星データの分析を行っています。これは深層学習モデルを使って画像内の各ピクセルに対して「河川プルーム」「それ以外」などの意味的なラベルを付与する手法で、衛星データのどの範囲が河川プルームと考えられるかを推定することができます。衛星データ中の各ピクセルが河川プルームかそれ以外かを識別できるモデルを構築するためには、あらかじめ目視などによって各ピクセルが河川プルームかそれ以外であるかをラベル付けされたデータ(正解データ)を用意します。正解データとそれに対応する衛星データをセットでモデルに入力してそれらの特徴を学習させることで、学習後のモデルは正解データのない新しい衛星データが入力された場合でも、当該データの各ピクセルが河川プルームであるかどうかを推定できるようになります。
このアプローチでは衛星データと少数の正解データさえ用意できれば、取得コストの大きい現地データがない場合でも分析対象の空間的な分布や時系列変化などの概況を把握することができます。もちろん現地データがあればより詳細な情報が追加されることになり、分析対象事象やモデルの推定結果の妥当性などに関する理解が深まることになるため、現地データの取得を否定する意図は全くありません。一方で、私たちがめざす「人間社会と多様な生物の共生」という大きなゴールに向かって、より多くの人たちと協力して取り組んでいくためには、誰もが簡便かつある程度の精度で海洋の状況を把握できるこのような新しい技術を使ったアプローチもあるとよいのではないかと考え、研究を行っています。
AIを活用することで、どのような海洋の状況把握が可能になるのでしょうか?
学習後のモデルが推定した河川プルーム領域ともとの衛星データを並べたものをお見せします(図2)。左側の画像(駿河湾周辺を撮像した光学衛星データ)の海洋部分のうち、懸濁物質などの影響によって周囲よりも明るく、水色から青緑色、一部黄土色などに見える部分が河川プルームと考えられる領域です。定性的には、学習後のモデルは河川プルーム全体の概形を人の目視判断と同じように捉えられていると考えています。モデルが推定した河川プルーム面積の時系列データを見ると、梅雨から台風シーズンにかけて河川プルームの推定面積が増えていることがわかります(図3)。降水量の増減と連動した河川プルーム推定面積の年周期が形成されるなど既知の知見とも整合しており、今回作成したモデルによって河川プルームの概況把握までは十分にできているのではないかと考えています。
(画像出典:NTT研究開発『地球環境と人間社会の持続的な共存共栄に向けた地球環境未来予測技術』、情報処理学会・学会誌『情報処理』 Vol.65 No.12 (Dec. 2024). e36-41)
画像出典:小谷 輝・小林 高士・久田 正樹「衛星画像×深層学習による駿河湾の海洋環境解析」(日本海洋学会 2025年度秋季大会)
今回のモデルが推定した過去10年ほどの河川プルーム出現頻度(図4)を見ることで、陸域から供給される栄養塩などの物質の影響が相対的に大きい場所とそうでない場所の目安を知ることができると考えています。これ自体が人間活動の影響を受けやすい海域を知る上で重要な情報になりますし、次の展開として河川プルーム出現頻度と生育するプランクトンなどの生物種の関係性や、さらには同じ生物種でも遺伝子の違いがないかなどを調査できると面白いのではないかと考えています。
画像出典:小谷 輝・小林 高士・久田 正樹「衛星画像×深層学習による駿河湾の海洋環境解析」(日本海洋学会 2025年度秋季大会)
また、私たちの研究チームでは河川プルームだけではなく、藻場に関しても同様のアプローチによる状況把握ができないか試しはじめています。環境省が公開している藻場分布に関する調査結果「自然環境調査Web-GIS」などを参照しながら、画像解析AI技術と衛星データを組み合わせることで従来手法よりも効率的に藻場面積を推定できないか研究を行っています。これまでの藻場調査は現地調査や衛星データの処理などにかなりリソースが必要でなかなか更新が難しいようで、先ほどご紹介した環境省の前回の藻場調査結果は5年ほど前の情報になっています。私たちのアプローチによってより高頻度に藻場の分布状況がわかるようになれば、変化する海洋生態系をより精確に捉えることにつながるのではないかと考え取り組んでいます。
河川プルームや藻場の状況把握を行う目的はどこにあるのですか?
人間社会と海洋生態系の関係性を理解して両者の共存共栄をめざすためには、まずは人間活動によって海洋に流れ出た物質が、どのくらいの範囲に影響をおよぼしているのかを知ることが大切です。河川プルームには人間活動によって排出された栄養塩などのさまざまな物質が含まれていると考えられ、先ほどもお話ししたとおり、河川プルームの範囲がわかれば人間活動の影響がおよぶ範囲の重要な手掛かりになると考えています。また、藻場は海洋生物による炭素固定の観点から重要であることはもちろん、魚介類の産卵場所や隠れ家、餌場などとしても機能しており海洋生態系には欠かせない存在です。このため、藻場が現在どこに存在し、それが減少しているのか増加しているのかを、今よりも高頻度に把握することが必要ではないかと考えています。
3. 貴重な衛星データの価値をAIなどの先端技術と組み合わせることでさらに向上させたい
現在の研究には、どのようなモチベーションで取り組まれているのでしょうか?
宇宙環境エネルギー研究所の「地球の未来、宇宙(そら)から。」というコンセプトに共感しており、その大きな方向性のなかで、私が所属する地球環境未来予測技術グループがめざす「豊かな人間社会と多様な生物が共生できる地球環境の実現」という重要なゴールに向けて研究に取り組めることにとてもやりがいを感じています。また、これまで培ってきた衛星地球観測分野の知見を活かすことができる点もよいモチベーションになっています。
前職では、人工衛星やそれに搭載する地球観測センサを開発する仕事に携わりました。修理や交換が困難で地上と環境が大きく異なる宇宙という場所でも確実に動作する機器を開発し、ロケットで打ち上げて実際に宇宙から観測データを届けられるようになるまでには、数多くの課題や困難があることを実感しました。そのような経験もあり、さまざまな苦労を乗り越えて取得されている貴重な衛星データの価値をAIなどの先端技術と組み合わせることでさらに向上させ、人間社会と多様な生物との共生などの大きな目標の実現に役立てていきたいという気持ちを持っています。
今後、どのような研究に取り組んでいきたいですか?
最近、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)と、本日お話ししたような画像解析AI技術を活用した衛星データの分析手法に関連する新たな知見を得ることを目的とした共同研究※1を開始しました。今後、彼らが持つ貴重な衛星データやその利用に係る知見と私たちの分析技術を組み合わせることで、海洋の効率的なモニタリングや未来予測の実現に役立つ研究成果を創出できればと考えています。
また、NTTグループとして自前の地球観測衛星を持つ計画も進んでおり、私たちの研究している技術をNTTグループの衛星が取得したデータの分析にも活かしていければと考え研究を行っています。まずは現在利用可能なデータを使った分析結果や応用事例をしっかりと蓄積し、実際にNTTグループの衛星が打ち上げられたときに、そのデータの価値を最大化できるような技術に育てていきたいと考えています。
NTTの研究環境や研究所の雰囲気について、どのように感じていますか?
一般的には通信やネットワークの会社というイメージが強いかもしれませんが、私が所属する宇宙環境エネルギー研究所のように地球環境の未来について研究する研究所などもあり、NTTグループ全体としてはとても広い領域を対象に活動を行っているなと感じています。先ほども言及したとおり宇宙関連事業にも力を入れており、宇宙ビジネスブランド「NTT C89」のもと、Space Compass※2、Marble Visions※3などの会社を立ち上げ、衛星などのアセットを自前化することもめざしています。このような宇宙や地球環境といった領域を含む多様なNTTグループの取り組みを通じて自分たちの研究成果を社会実装につなげられる可能性がある、という研究環境は非常に魅力的であり、なかなか他所にはない特徴ではないかと思っています。
研究所の雰囲気については、フラットに意見を交換しやすいと感じています。また、研究においては自発性や主体性が重視されていると感じています。いろいろな人と議論しながら自身で研究テーマを立案し、試行錯誤しながら主体的に進められる方にとっては、とてもよい環境ではないかと思います。海洋生態系や衛星データ分析、AIなどの先端技術に関する研究に興味がある方々とぜひ一緒に研究に取り組んでいければうれしいです。
※1 JAXAとNTTがAIで衛星データを読みとく~海洋のモニタリングで、人間社会と海洋生態系の共生をめざす~
※2 Space Compass:NTTとスカパーJSATが共同で設立した、宇宙のインフラの構築や運用を目的とした合弁会社
※3 Marble Visions:Space CompassやNTTなどと連携している宇宙事業のスタートアップ企業
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