社会システム変容の研究と有識者のコラム集 コラム⑮ 経済学(マーケット・デザイン)
経済学において「社会厚生」や「効用」という言葉がある通り、ウェルビーイングはある意味で長年、経済学の中で研究されてきたと言えるのではないか。
マーケットデザインでは労働市場や人事、教育など様々な分野において、社会や会社の目的はありつつも参加している人間を駒と思わずに希望を聞いてうまく調整していく。つまり、ウェルビーイングを重視する社会に対して、マーケットデザインは皆がなるべく納得していく仕組みを作る役割を担うと考えられる。人々の価値観は多様化しており、個人が何をしたいか、何を幸福とするかはトップダウンで決められない状況である。その中で、多様な価値観をくみ取りうまく使っていくことが、マーケットデザインに求められていることではないだろうか。
また、マーケットデザインに関する取り組みの中で感じていることとしては、労働市場においてウェルビーイングが特に重視されるようになってきたことである。例えば就職活動において、給与が高いことや一流の仕事であることといった理由だけでなく、「こういう仕事がしたい」と自分の希望を叶えたい学生が増えてきている。既に企業で働いている人にとってもウェルビーイングは重要であり、一昔前のような企業が人を駒のように動かす人事はできなくなってきた。実際に、新卒がすぐに会社を辞めてしまうことや、窓際族のように社員が活躍できていないことなど、働く人の希望や事情をくみ取らないことで様々な問題が生じている。その解決に、マーケットデザインが役立つのではないかと考えている。
具体的にどのようにマーケットデザインを実装していくか、新入社員の配属を例に説明したい。まず新入社員と部署の双方に希望を聞く。会社には会社の事情があるものであり、新入社員側の希望だけでなく当然ながら部署側にも希望を聞く。そして双方の情報をコンピュータでアルゴリズムを使って処理することで、社員と部署の最善なマッチングを導き出すことができる。新入社員に希望を聞くところまでは多くの企業で行っていることだが、それがどのように活用されているかはわからない、聞かれた結果がファイルの奥底にしまわれていたということもあるのではないだろうか。希望を聞くだけでなく、それを最大限生かすことが重要である。最適なマッチングを見つけるアルゴリズムを活用すれば、それが可能になる。
今挙げた例のようにクローズドな環境であれば簡単に実装することができる。計算量自体は非常に少なく、10万人程度の規模で実施することも可能だ。日本やアメリカなど世界各国における研修医と病院のマッチングに実装されているほか、高校や大学入試において全国的に実装している国もある。
個人レベルのマッチングが最も活用されているアルゴリズムのひな型であるが、学校の入試のような数万単位の参加者となると、成績や住んでいる場所など条件をもとにマッチングを行っていくことになるため、アルゴリズムの調整が必要になる。
賃金をフレキシブルにして最適なマッチングを目指すことは、経済学者がよく使う伝統的な方法である。アメリカの研修医の市場においては、病院での給与まで含めたアルゴリズムを実装することもある。一方で、企業がジョブ型に移行していく中でポジションごとに賃金差を設けるような動きは出ているが、同じ仕事内容であってもこの人は需要が高いので賃金を上げるといった自由市場のような仕組みを入れるには、企業側の内部事情として難しい印象がある。実施できるところは実施すればいいと思うが、実際、企業や組織における賃金の調整は様々な事情で簡単にはできないところが多いのではないか。
そのような場合に、マッチングアルゴリズムはものや人を適材適所に配置する方法を提供するものであり、予算を付けて力技で解決しなくても良いところがセールスポイントである。
既存研究を一番活用しやすいのはワンショットでのマッチングであり、マッチング後の調整に関してはまだわからないことが多い。関連するものとして、不確実な状況のもとでの最適な意思決定を扱った「バンディット問題」というものがある。それを人事の例に当てはめて説明すると、一人の人がAとBのポジションのどちらの方が成果を出せるか考える時に、どちらのポジションも少しずつ経験し情報を集めたうえで最適なポジションを予測することになるが、バンディット問題とマッチングを組み合わせてどう最適化していくかという研究については理論の論文が数本出た段階である。
人事の例でいうと、ある意味部署の長とマッチングしていると言えるかもしれない。大学で先生と学生とをマッチングさせるような事例もある。
結婚において活用できないかはよく聞かれるが、アルゴリズムの応用があまりない分野である。一人の人に集中してしまう「混雑」が発生し、ミスマッチが起きてしまう。出会い系のマッチングアプリでも男性がたくさんの人にメッセージを送り、女性はメッセージが来すぎて困るということが問題になるが、メッセージを月に何回までしか送れないようにすることや、多く送るには課金が必要になることなど、コストを高く設定することでコミュニケーションの交通整理をしている。
倫理的な面も含め、どういうことをやりたいか指針があればできることはたくさんある。企業内で男女のバランスを達成したいのであれば、適切に男女別の定員を設定すればよい。アメリカの学校選択制度では、どこの地区の人を何%とるという条件を入れて実装しているものもある。
そもそも社会にとってどのようなバランスが望ましいかは非常に難しい問題である。学者の世界に閉じず色々な人と議論をすることが不可欠だと考える。
マッチングのアルゴリズムを使って希望をくみ取るということは昔から行われていて、アルゴリズムのひな型も50~60年前からあるものをリファインしながら活用している。外国では活用例が多いが、日本では企業人事においても、入試などの教育分野においてもあまり活用例がない。
理由の一つは、このような技術や考え方があまり知られていないことである。問題を抱えている人たちはいるが、どう対処すればよいかわかっていない。もう一つの理由に、あまり知られていないものは使うのが怖いという考え方があるのではないか。アメリカから日本に帰国する際、同僚に「日本はなかなか新しいことを入れてくれないらしいが、大丈夫か」と聞かれたことがある。しかし、アメリカも20年程前は今の日本と同じような状況であり、成功例を積み上げていった先人がいたからこそ広まっていった。日本も同じで、地道に実装を進めていくことが重要なのではないかと考えている。
ひな型となるアルゴリズムは大学の授業でも使われており、マーケットデザインセンターでも一部のコードを公開したり、ウェブインタフェースにデータを入れるとマッチングの処理をするものを実装したりしている。そうはいっても、企業や自治体の人がGitHubからコードを見つけて使うことは難しいかもしれないので、我々が周知に力を入れることも必要であるし、我々のような実践者に聞きに来てもらえると良いと思う。特にカスタマイズが必要な場合は、聞きに来てもらったほうが良い。実際に、企業の方からしっかり理解したうえで活用したいと依頼があり、講義を行ったこともある。
外国では臓器移植へのマーケットデザインの実装が進んでいて、アメリカでは年間1,000例前後はマッチングのアルゴリズムを活用して臓器移植の最適配置がなされている。日本では倫理的な面での心配からか活用が遅れており、個人的には残念だと感じている。外国で活用が進んでいるのは経済学者の論文をきっかけに医師との協力が生まれ広まっていった経緯があり、情報発信していくことが促進に大切なことだと考える。
一方で、学者は独りよがりに原則だけを言っているだけではだめで、色々な事情に反応し、くみ取って対応していくことが重要だ。例えば、腎臓移植はドナーが持っている2つの腎臓のうちの1つを患者に移植するものだが、血液型が同じでなければいけない等の条件があり、夫婦で移植したいとなっても血液型が異なれば移植できない。条件が合わないことで困っているペアがたくさん生まれることになる。こういう場合にすぐに経済学者が思いつくのは、需要と供給があるので臓器を売買すればいいということ。しかし、世界のほとんどの国で臓器売買は違法であり、この場合「原則」だけを主張しても仕方がないということになる。マーケットデザインを活用すれば、困っているペアを集めて組み替えることで多くの人が適合する臓器を見つけられ、皆が納得できる。お金は介していないが、ある意味での取引をするということ。こうした有形無形の障害をクリアしながら、制約がある中で問題を解決していく姿勢が重要だと考える。
市場における価格調整メカニズムが活躍する場は大きい。むしろマッチングは市場が伝統的に入らなかったところや、想定するようにうまくいかなかったようなところに実装していく。例えば、アメリカでは子どもを保育園に預ける場合、保育料は非常に高額ではあるがお金を払えばある程度の人は入れる。ある意味お金で解決していると言える。しかし、社会的要請としてお金持ち以外の人も保育園に預ける必要があり、日本やヨーロッパでは政府が補助を出して保育料を安くしているが、保育にかかるコストと比べて安いために超過需要が起きている。ではどうするかという時に、昔の社会主義的な考えで「ここに住んでいる人は一律でここにいくように」と全て決めてしまっては人々の希望をくみ取ることができないので良くない。このように、市場の価格調整メカニズムには任せられない分野だが、一律に決めてしまわずに人々の多様な希望をもとになるべく皆が満足するように調整するというのがマーケットデザインの活躍するところである。人々の希望を調整するというのが市場の一番重要な役割であり、お金をどうするかというのは二次的な問題である。価格調整メカニズムからマーケットデザインにシフトしていくというよりは、価格調整メカニズムがうまく働かない時のクレバーな選択肢であると理解してもらいたい。
色々な人にそれぞれの役割があると考える。まず、研究者は技術を開発していくことが重要だ。企業人事を例にとっても、一般的に知られているアルゴリズムをそのまま活用しようとしてもうまくいかないことがある。例えば、部署ごとに定員があるのは一般的だが、複数の部署を1つのグループとしてグループにも定員を設けている場合がある。そうした時にどのようなアルゴリズムを組むかは明らかでなく、例えば私が関わっている企業人事プロジェクトでは、私自身の制約に関する研究を応用してアルゴリズムを調整した。このように問題に対処し、社会の持っている様々な事情に対してフォーマルな形で対処できることを示していくことが重要だと考える。
一度実装がうまくいっても、その後社会の変化とともに問題が生じることもある。例えば、アメリカでは1950年頃から研修医と病院のマッチングにアルゴリズムを活用していたが、1970年頃に問題が生じた。その頃アメリカでは女性医師が増えてきて、研修医が色々な場所に配属される中でカップルが離れ離れになって困っていた。そこで、カップルにペアのポジションのランキングを出してもらい、アルゴリズムで処理することで解決した。日本の保育園でも、きょうだいを同じ保育園に通わせたいと考えると同じ問題が生じる。ある程度技術で解決できるので、実装して生じた問題に対応しつつ、実証や理論などフォーマルな形でうまくいくことを示すことが研究者には求められると考える。
マーケットデザインを実装するにあたっては、配属であれば企業人事の人、保育園であれば自治体といった市場への介入の相手方になる人の協力が必要不可欠だ。場合によっては制度設計を変えながら実験していかなければならず、そうした人たちが中心となって社内等を説得していく必要がある。
また、社会一般に対しては寄付をはじめとしたサポートをしてもらいたいと考えている。実装していくには紙と鉛筆では完結せず、様々な人を巻き込んでいく必要があり、そうした活動を支えてもらいたいと考えている。
※本稿は研究メンバーにより実施したインタビューをまとめたものです。
小島 武仁
経済学者。1979年生まれ。2003年東京大学卒業(総代)、2008年ハーバード大学博士。イェール大学(博士研究員)、スタンフォード大学(助教授、准教授、教授)などを経て2020年より東京大学経済学部教授。専門分野は人と人や人とモノ・サービスを適材適所に引き合わせる方法を考える「マッチング理論」と、それを応用して社会制度を設計する「マーケットデザイン」。研修医マッチング制度や待機児童問題を改善する制度設計の発明などで知られる。