社会システム変容の研究と有識者のコラム集 コラム⑦ 健康経営

    ウェルビーイング重視社会の実現に向けた健康経営の役割 一般社団法人 社会的健康戦略研究所
    代表理事
    浅野 健一郎

    1. はじめに

    高いウェルビーイングレベルの社会を実現させる上で、現在、日本社会で急速に取り組み企業数を伸ばしている健康経営やウェルネス経営、ウェルビーイング経営(以下、これらを総称して「健康経営」と記述する)と呼ばれる企業における経営視点からの健康課題解決の活動を無視して語ることはできない。一方で、健康に関する経営活動は複雑で奥が深いので、この健康経営の活動を精力的に行っている企業においてさえ、その活動を誤解または誤認している経営者や企業内担当者は多い。そこで、本稿では、最初に本来の健康経営について駆け足で説明し、読者の皆さんとの目線を合わせた上で、本題である高ウェルビーイング社会と健康経営の関係性へと話を展開していきたい。

    2. 健康経営の誤解

    健康経営が世の中で認知され始めてから数年という短期間の間に、健康経営という言葉を聞いたことのない企業経営者や人事・総務系担当者、または産業保健や健康保険組合に関係している方はほとんどいないといっていいほど、日本では健康経営の認知度が上がった。この健康経営を日本社会へ普及させるのに大きな推進力を発揮したのは経済産業省である。健康経営の普及促進のため、優秀な健康経営の活動をしている企業をホワイト500等の優良法人に国が認定し、社会への浸透を加速させてきた。この褒賞制度にエントリーするには、健康経営度調査票と呼ばれる経済産業省が実施するアンケートに回答する必要がある。この褒賞制度が大きな効果を発揮し、褒賞制度にエントリーする企業が増えれば増えるほど、健康経営度調査票が健康経営度の優劣の調査の枠を超え、健康経営自体のバイブル的な存在となり、その弊害として、健康経営を従業員に対する高度な健康管理と誤解して活動を行う企業が急激に増えてきている。これは普及に先立ち本来行うべき正しい健康経営の理念や目的、運用プロセス等の認知や知識を高める教育的な活動より先行して、評価制度が普及してしまったための誤謬である。

    健康経営が従業員を対象とした高度な健康管理を行うことではないということではなく、これらは健康経営活動に含まれる施策の一つである。しかし、その施策の一端であるはずの健康管理そのものが健康経営と勘違いされていたり、そこまでひどくなくても、高度な健康管理を駆使して従業員を健康にすることが健康経営の目的と誤解している企業は非常に多い。この誤解は、健康経営度調査票の内容からだけではなく、「健康」や「ウェルビーイング」の言葉自体の定義が曖昧で、人それぞれの定義が異なっていることの影響も極めて大きい。そこで、本来の健康経営についての説明に進む前に、健康経営にも使われている「健康」や「ウェルビーイング」という言葉の定義について考えてみたい。

    3. 健康とウェルビーイングの定義

    健康という言葉の定義は、わかっているようでわからず、理解しているようで理解できていない。多くの人は、何となく健康とは病気ではない状態と考え、健康と病気を一つ軸の上での対極に位置付けている。最近では、その健康でも病気でもない状態である中間地点に位置付けた「未病」という言葉も生まれている。さらにウェルビーイングについては相当する日本語の単語が存在していなかったことから、健康以上に様々な意味で理解されており、一例を挙げれば、「ウェルビーイング:Wellbeing」と「ハピネス:Happiness(幸福)」が同じ意味と理解されていたりする。日本語が存在しないということは、ウェルビーイングについては、日本では古来、民衆の間でほぼ意識されていないものであったことが想像できる。それ故に健康以上にイメージがしづらい。

    これらの「健康」や「ウェルビーイング」の国際的な定義として、私たちは、国連の機関であるWHO(World Health Organization:世界保健機関)憲章の前文に書かれている「健康(Health)とは」の定義を用いている。

    WHO憲章では、健康(Health)が以下のように定義されている。

    Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

    そして、日本語訳は、

    「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」

    (日本WHO協会訳)

    このWHOの定義では、「健康」とは、「ウェルビーイング」の一状態であると書かれている。つまり、「健康」は状態を示す言葉で、「ウェルビーイング」は尺度を示す言葉であると理解できる。つまり、3つ(肉体、精神、社会)のウェルビーイングの尺度において、全ての尺度で高いレベル(良好)にある状態が「健康」と定義されている。

    この定義の理解を深める上で、非常に重要な示唆が二つある。一つは、健康とは、「病気でないとか、弱っていないということではない」という概念である。つまり、病気に罹患していたとしても、その人が同時に健康な状態にあることは可能であり、また老化やフレイル等で弱っていたとしても健康を維持できるということである。もう一つは、「健康」とは至って主観的な感覚から導かれるものであり、第三者が他人の健康を決めることはできない。一方で病気は、その個人が決めることではなく、第三者である専門家(日本では医師)が決める。このことからも健康と病気が異なる次元の言葉であり、一軸上における対極の概念ではないことが理解できる。

    4. 本来の健康経営とは何か

    健康やウェルビーイングの定義が明確になったところで、今一度、健康経営に立ち戻り、その本来の活動目的や意義や意味、そして施策を考えてみよう。

    健康経営を標榜する多くの企業が、その活動をSDGs(1)の達成に向けた企業活動、もしくはCSR(企業の社会的責任)の一環として捉えている。これは、人々の健康を維持向上することは、社会全体の課題解決になるという理解のもとに健康経営が行われていることと同義である。同じような経営活動に「環境経営」がある。ここからは、理解しやすくするため、この「健康経営」と「環境経営」を対比させながら、話を進めていきたい。

    現在の世界(地球)においては、健康や環境は世界(地球)規模の課題であると言って過言ではない。現存する人類共通の課題であり、私たち今を生きている人類が解決できないと、将来の人類の存続はないかもしれないと考えられている。なぜ、それほどまでに持続可能性が危機的状況になってしまったのかを考えると、この健康経営や環境経営の意味するところが見えてくる。

    地球上の一生物種である私たち人類は、これまで農業革命、産業革命と、人類の生き残りの枠を超え、幸せや豊かさを求めて経済活動を進化させ、地球上での生息域を拡大してきた。これらの活動は、短期的な利益を上げる経済合理性の思考が主流となり、人々の労働力や地球資源、他の生物種の生息環境を搾取することで大きな利益を生む事業活動が是とされ、活動されてきた。また、地球環境や他の生物種への負荷や人々のウェルビーイングへの負荷といった、負の経済外部性領域を大きくすることが、企業に莫大な利益をもたらし、経済発展の原動力とされてきた。その結果、現在では地球資源の枯渇、環境汚染による様々な地球規模での災害、病気の蔓延、生物種の多様性の破壊等の持続可能性の危機を招いたのである。つまり、これまで是とされてきた経済合理性の追求を継続することで、地球や地球上の他の生物種だけではなく、人類までも破滅させる可能性が高いことが科学的にも明らかになりつつあることが周知の事実となってきた。現在に至るまで、企業の事業活動における有害物質の使用と排出による大気汚染や水質汚染、放射線やアスベスト、有機溶剤等による環境汚染が原因での人や生物への病気発症への影響等、大規模な人的被害の経験から、様々な改善・改良が続けられてきたが、人的被害も環境への負の影響も、その事実が明らかになるまで長い時間がかかることから、起こってからの対処では対策が後手となり、いつまで経っても抜本的な解決につながらないのが現実であった。そこで、先手を打っていくための新たな方法論として、現代社会では「健康経営」や「環境経営」が注目されている。さらにその活動のゴールや意味づけとしてのSDGsやCSRの流れが、SRIやESG投資という投資活動にまでつながってきている。

    以下の項で、具体的なサブテーマを設定し、ウェルビーイングを重視する社会における健康経営の現状と課題、そして対策を深掘りしていきたい。

    サブテーマ1:ウェルビーイングを重視する社会を考えると、「健康経営」のあり方はどのように変わるか?

    環境経営は、健康経営より先に社会に浸透した活動であるが、ISO 14000シリーズ等の認証制度も相まって、今では深く企業活動に根付きつつある。しかし、皆さんの環境経営のイメージはどのようなものだろうか。多くの方は、社内で無駄な照明を消す、クールビズ、ウォームビズ等によるエアコン使用率の低減等の省エネ対策、ゴミの分別をしっかり行い、リサイクル率を高める、できるだけ紙の使用を控え、紙ゴミの排出を減らしていく等々、会社内での活動であるにもかかわらず、実際は個人ができることの地道な実践の積み上げを思い浮かべるのではないだろうか。これが間違っているわけではないが、これらは、今の地球規模での持続可能性の危機社会で生きている私たちにとっては、基本中の基本の社会規範である。これらを環境経営と呼ぶにはいかにもレベルが低すぎるように思えるが、これまでの大量消費、大量廃棄、短期的視点での利益の追求等を常識としていた世代の人々にまず必要なのは、常識の大転換であり、同時に新たな価値観の創出であるため、容易に実現できる類のものではない。つまり、第一ステップの環境経営は、個人の環境に対するリテラシー教育を行い、新たな社会規範(常識)を根付かせることにあった。

    同様に、健康経営を考えてみよう。サブテーマにある通り、ウェルビーイングを重視する社会に突入している現在、いじめやハラスメント問題がクローズアップされ、またマネジメント不在における長時間労働をはじめとする過重労働での労働災害が社会的に問題視されている。一昔前では、病気の一つや二つに罹るまで無理して働くことが美徳とされ、「24時間働けますか?」が流行語になるほど、長時間働くことが美徳であったし、社会で常態化・常識化されていて、長時間働いている自分に社会的な効用感を感じていた。今では、隔世の感である。現代病ともいわれているメンタル疾患者が大幅に増加して社会問題になり、生活習慣病(昔の成人病)が死亡に至る疾病の上位を独占する勢いで、中高年層に蔓延している。しかし、これらの社会問題や疾患は表層に現れている現象にすぎない。医療は、この表層の現象に対処することで人々を救ってきたが、これまで根本の原因に対して問いを立てた対処がなされていない。ハラスメントの防止やメンタル不調者発生予防として、管理監督者研修やラインケア・セルフケア研修の実施、そして生活習慣病に対しては、適切な食や運動、睡眠の改善といった保健指導等による健康リテラシー教育、行動変容を目的とした施策を行うという、表層の現象に対処する対策しか行われておらず、これまで数十年の取り組みをしてきたにもかかわらず、結果としてこれらの社会課題がほぼ改善されない現実に直面している。

    さらには、こういった表層の現象へ対する対処行動が「健康経営」であると認知され、この数十年間大きな成果が出ていない活動の強化が広がってきている。一方で、健康経営の視点からのリテラシー教育の第一ステップは、教育の実施者が無意識的、意識的かにかかわらず、ウェルビーイング重視社会では必須の、大変重要なステップである。先に環境経営の実態で見た通り、会社が従業員個人への教育を行うことで、新たな常識を身につけさせている段階と同様と捉えることができる。加えて理想を言うと、これからのウェルビーイング重視社会とは何か、なぜその社会を目指さないといけないのか、そしてその社会での常識、人々のとるべき行動や身につけるべき知識についての教育を行うことが求められている。

    つまり、成熟したウェルビーイング重視社会を実現するために、その社会を構成する人々がまずウェルビーイングの理解を深める必要があることに鑑みると、この健康経営の活動は、非常に重要なファーストステップの活動であり、多くの国民にリーチできる教育機会として、基礎となる活動と位置付けることができる。したがって、リテラシー教育での教育内容については、一考の余地があるが、基本的には「あり方はどう変わるか?」という問いに対しては、「変わらない」、もしくはこの基礎部分に関しては「変えない」というのが私の結論である。

    サブテーマ2:ウェルビーイングを重視する社会を考えると、「健康経営」のあり方はどのように変わるべきか?

    サブテーマ1では、今の健康経営の活動を「変えない」と結論付けたが、今の「健康経営」のあり方が今のままで「十分である」ということではない。まず変えない部分としては、あくまで基礎的な個人への健康リテラシー教育の部分である。この教育によりウェルビーイングを重視する社会の実現で必要となる、新たな常識や新たな価値の浸透を図ることが可能となる。つまり、これらの教育は、ウェルビーイングを重視する社会の実現の準備活動と位置付けることができる。では、ここからはべき論としての「あり方」を考えていきたいと思う。

    再び、環境経営の例を用いて話を展開する。環境経営で、多くの企業が最初に取り組んだのは、「紙、ゴミ、電気」といわれる、環境負荷を下げる最低限の環境意識の教育やその行動を社内で展開することであった。この活動が、環境負荷の少ない社会の実現に貢献することに間違いはないが、企業活動全体を捉えたときに、その企業が本来持っている最大限のパワーを発揮して、低環境負荷社会の実現に貢献しているとは言えない。つまり、企業という社会に向けての価値提供を事業展開する法人を考えたときに、最も低負荷環境社会の実現に寄与するのは、従業員の教育や社内で一般的に発生する「紙、ゴミ、電気」の取り組みではなく、当然ながら事業提供そのものが、いかに低環境負荷社会の実現に寄与できるかである。これは、環境事業を新事業で始めるべきということを言っているのではなく(もちろん、それを否定するわけではないが)、現在すでに事業提供している現業において、いかに低環境負荷社会に貢献できる事業内容、製品設計、製造工程設計、もしくはサービス提供ができるかという視点である。ライフサイクルアセスメントは各社で行っていると思うが、例えば製造工程の省エネ、省資源等の自社内での低環境負荷活動にとどまらず、この製品が他社(他者)に渡った時に、その他社(他者)が発生させる環境負荷を低減できるか等、社会全体におけるサイクルの中で、自社の価値提供が環境負荷を低減できるかが一番重要なポイントになる。つまり、極端に言えば、自社の製造工程内で発生する環境負荷が上がったとしても、それを補って余りある環境負荷低減効果がその製品やサービスの使用で得られるのならば、これは十分に低環境負荷に貢献していると言える。逆に、いくら自社内での工程が省エネ化されたとしても、そのこと以上に、社会での使用で省エネ工程化前より環境負荷が高まり、トータルで高環境負荷になってしまうならば、これは決して環境経営と言えない。この構図をウェルビーイング重視社会での健康経営のあり方と重ね合わせてみると、健康経営のべき論が見えてくる。

    健康経営においても、社員の健康リテラシーの向上教育や、その行動促進はとても重要ではあるが、仮に社員の健康に対してとても手厚い施策を行っていたとしても、その会社が作っている製品や提供しているサービスが人々の健康を毀損するものだとしたら、この企業は健康経営企業と言えるだろうか。わかりやすい例でお話しすると、例えば癌等の病気を直接誘発するような商品やサービスは、当然ながら提供されることは少なく、または意図的にそのような商品やサービスを提供する事業者は現在の社会でも排除されているはずだが、生活習慣病を誘発するような商品・サービスは世の中に氾濫している。ここでは、病気を対象として例示をしたが、実際の健康は先の項で提示した定義から大変広い概念であり、かつ多様であり、本当に健康を毀損していないかを考えるのは容易ではない。

    極端な例を挙げると、今流行りのSNSのサービスで、その使われ方から、結果的にもしくは意図せず人々を孤立させる、もしくは差別、誹謗中傷、精神的なダメージを与える言葉の暴力等、意図的な発言を許容し、または増長するサービスだとしたら、このサービスはウェルビーイング重視社会で、人々の健康に寄与しているサービスと言えるだろうか。このサービス提供事業者が、社員に対してはこのような社会的ウェルビーイング、精神的ウェルビーイングを低下させるような言葉の暴力を健康経営で手厚く防止していたとしても、この企業は健康経営企業のあるべき姿を具現化していると言えるだろうか。これらは架空の例であるが、べき論を考えたときに、健康経営企業は、その企業のあらゆるステークホルダーの健康を少なくとも毀損させない、望ましくは向上させる「べき」ではないだろうか。

    この例を見て、「当社は直接、個人の健康に関わるような事業ではないから事業視点からは関係ない」と思われた方も、なかにはいるかもしれない。しかし、よく考えてほしい。一見すると関係ないように思えるかもしれないが、健康の範囲はとても幅広い。楽しいと思うこと、安心を感じること、充実感を得ること等々、全てその人の健康に関係する。より楽しい、これがあるからより安心、もしくは、より充実すると感じられる商品やサービスは、人々のウェルビーイング度を高める。それでも事業と健康とは関係ないと言い切れる業種はほぼ存在しないのではないだろうか。現在の健康経営は、いまだ社内のステークホルダーである社員を対象としている企業がほとんどである。しかし一部の企業では、顧客、地域住民、もしくは将来の顧客層へのウェルビーイング重視のアプローチを開始している。この社員から始まった健康経営の取り組みを、コアとなる事業活動を通じて社会全体に拡張し、人々のウェルビーイング度を上げられる企業が、ウェルビーイング重視社会での健康経営のあるべき姿ではないだろうか。

    サブテーマ3:「健康経営」の変化を促進/停滞させる主な要因として注目されているものがあるか?

    それでは、あるべき健康経営へ変化させる促進要因/変化を遅らせる停滞要因について考えてみよう。促進要因と停滞要因は裏腹の関係にあり、完全な独立変数ではないので、ここでは単純化のため促進視点で考える。停滞要因は、その促進要因がないことであると理解してほしい。

    卵が先か鶏が先かのような議論ではあるが、一番の促進要因は、社会自体をウェルビーイング重視社会に変革することである。これまでも、社会における価値は時代ごとの環境により揺らいできたが、人々の価値観がウェルビーイング重視になることで、ニーズが顕在化するので、健康経営が当たり前の社会に向かって勝手に進んでいく。すでに社会全体はその方向に向かって動き始めている。SDGsはこの動きに具体的な目標を与えている。さらにESG投資等の企業活動を支える大きな仕組みも、社会の価値変革の後押しをし始めている。これからさらに加速するには、ISO 14000シリーズがなし得た環境重視社会への転換に向けた社会インパクトと同じように、国際標準によるウェルビーイング重視社会に向けた社会規範の促進も必要であると考える。

    また、同時に社会の変革を完成させるには、大多数の人々がウェルビーイングに価値を高く認識する必要がある。それには、ウェルビーイングについての個々人のリテラシーが高くなっている必要がある。少なくともウェルビーイングとは何かを理解し、自分や社会には何が必要かを見いだせていることが重要である。つまり、ウェルビーイングについてのリテラシー教育が最大の促進要因になると考えられる。すなわち、今の健康経営の恩恵を受けられる職域にいる層だけでなく、あらゆる年齢層へのリテラシー教育が必要となる。特に学校教育における、社会に出る前の児童・生徒等への健康リテラシー教育が一番重要かつ効果的な促進要因であると考えている。

    ここで、別な視点から健康リテラシー教育の重要性を考えていきたい。前項では、企業の本業における健康経営の重要性に言及したが、事業提供において健康を毀損しないことを十分に考慮した製品設計、サービス企画を行うためには、健康を十分に理解した企画・設計者もしくは開発者、ひいては研究者が企業にいないと実現できない。つまり、企業内に健康に精通した人材が必要になる。また、あらゆる企業活動の前提として法律遵守と同じように健康に配慮することを考えると、精通した人材の必要数は相当数にのぼる。この視点からも健康リテラシー教育とその体系化がとても重要であることが理解できる。

    サブテーマ4:「健康経営」のあるべき姿の実現に関して、誰が何をするべきか?(誰の活躍に期待しているか?)

    この質問に対する回答としては、ウェルビーイング重視社会の実現は、社会の変革であるので、全ての人々、政府や自治体、企業等の組織体のセグメントにかかわらず全ての組織が、その活動の前提にウェルビーイング重視をおいた価値観で社会活動を営むことである。個人にとっての健康経営、そして政府にとっての健康経営、さらに地域にとっての健康経営等、健康経営の概念は、企業にとどまらず、全ての社会構成要素に適用できる。よって、誰がという主語は、社会のステークホルダー全体であると、べき論ではこのように答えることができる。

    一方、期待という視点からは、私は学域での健康リテラシー教育が一番重要と考えており、それ故一番期待している。やはり、新しい社会への転換は、結果的に旧来の常識にとらわれていない若い世代が推進力となり変えていくものである。この視点からは、学域の教育現場を支える教育者の役割は大きい。そして学ぶ立場である児童・生徒の健康リテラシーを高くする教育を充実させるには、リテラシーの教育方法やウェルビーイング重視社会自体の研究を、教育学だけでなく心理学・社会学・経営学・経済学等々、関係するアカデミアの領域が学際的に研究し、社会をリードしていくことが求められている。つまり、まずは教育者・研究者の活躍に期待し、その活動の成果から、最終的には若い世代の活躍に期待している。

    5. まとめ

    ここまで、ウェルビーイング重視社会の実現を、健康経営の視点から述べてきた。もちろん健康経営だけがウェルビーイング重視社会を創るわけでも、リードするわけでもない。今すでにこれだけ健康経営に興味を持って推進する企業が増えたり、学生の間でも健康経営企業への就職を希望する人が増えたりしている事実は、社会が確実にウェルビーイング重視社会への道を歩んでいることを示している。私たちは、この社会変革の過渡期にあり、これまでの社会とこれからの社会の制度や仕組み、常識や価値観の大きな揺らぎにさらされ、戸惑い困惑している状態にあると言える。

    一方で、人類社会や世界、そして地球の持続可能性を少しでも長引かせるには、この社会変革が必要であることはほぼ間違いない。私たちは、このウェルビーイング重視社会への変革に向けて、道を外さず、寄り道もせず、その実現に邁進していきたい。なぜなら、私たちに残された時間はもうそれほど多くはないからである。

    1. (1)持続可能な開発目標。https://www.undp.org/ja/japan/%E6%8C%81%E7%B6%9A%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%AA%E9%96%8B%E7%99%BA%E7%9B%AE%E6%A8%99%EF%BC%88sdgs%EF%BC%89参照。
    1. 各URLは、2023年10月30日にNTT社会情報研究所によりアクセス確認されたものである。

    浅野 健一郎

    1989年藤倉電線株式会社(現株式会社フジクラ)に入社。光エレクトロニクス研究所に配属され光通信システムの研究に従事。2011年よりコーポレート企画室、2014年より人事・総務部健康経営推進室。2019年6月より株式会社フジクラ健康社会研究所代表取締役。同年10月より一般社団法人社会的健康戦略研究所の代表理事。現在、経済産業省 次世代ヘルスケア産業協議会 健康投資WG専門委員、厚生労働省 日本健康会議 健康スコアリングWG委員、厚生労働省 肝炎対策プロジェクト実行委員他、経済産業省、厚生労働省等の委員を多数兼任。