オンチップ生体モデル
チップ上に生体機能の一部を再現し、微細なスケールの生命現象の理解に貢献

技術背景・課題
バイオデジタルツインの実現に向けて、NTTでは生体情報の取得と解析技術の研究に幅広く取り組んでいます。その中で、臓器、組織、細胞や、生体分子などの微細なスケールの生体情報は実際の身体からの取得が難しいという課題があります。そこで、身体の外に生体の動作や機能を再現したミニチュアモデルを作製し、その生命現象を解析するアプローチが必要です。このような発想のもと、オンチップ生体モデル研究は、センシングやアクチュエーション機能を備えるのに適したチップの上で、臓器や細胞、生体分子の動作や機能を再現するという取り組みです。
技術の概要・特徴・内容
生体らしい形状や組成の再現と並行して、センシングやアクチュエーション機能を加えるという設計目標に向けて、人工物から生きた細胞、生体分子まで幅広い材料を駆使する点に本研究の特徴があります。NTTがこれまで培ってきた生体に適した柔らかい材料(ソフトマテリアル)を扱う技術を基盤とし、独自のソフトマテリアル加工技術を新たに創出することで、生体の動きや機能をより高度に模倣する技術を展開しています。ここでは、代表例として、(1)(2)身体内の環境に似た水分の豊富な材料であるハイドロゲルを消化管のような管状構造に形状制御・変形駆動させる技術、(3)(4)筒型に立体変形する膜の上で細胞を育てることで、脳や血管らしい組織構造を作製する技術をご紹介します。
技術目標・成果・効果
(1) ハイドロゲル薄膜のオンチップ形状制御技術
生体によく似た性質を示すソフトマテリアルであるハイドロゲルは、その構成成分の90%近くが水分であり、柔らかい・脆い・水分量によって体積が変化してしまうといった特徴から形状の制御が難しい材料です。そこで、ハイドロゲルが水を吸って膨らむ力を逆に利用し、ハイドロゲルの薄膜を管状形状へと自発的に変形させることで、ガラスの基板上に生体器官(血管・消化管など)を模した流路構造を作製する手法を考案しました。ガラス基板とハイドロゲル薄膜界面の接着領域を化学的に制御することで、血管網を模した分岐・合流流路などさまざまな形状の設計が可能です。
図1 ハイドロゲル薄膜のオンチップ形状制御技術
(2) 生体模倣アクチュエーションが可能なオンチップ運動素子
上述したオンチップ構造制御技術は、様々な化学種のハイドロゲルに適応可能な汎用性があります。そこで、光刺激で体積を変化させることができるハイドロゲル薄膜を設計・作製し、オンチップ形状制御技術を適応することで、生体器官様の管状形状を備えた運動素子を作製することに成功しました。この運動素子は、光刺激の時間的・空間的制御により生体器官を模したアクチュエーションが可能で、収縮と緩和により腸内容物の分断・攪拌を担う分節運動や連続的な収縮により腸内容物を輸送する蠕動運動などを再現できることを実証しています。
図2 光刺激制御による生体模倣アクチュエーションの実現
(3) 脳らしい構造をもつ培養神経ネットワーク
培養神経細胞を自在に配置して脳らしい形状のネットワークを形成し、そこから細胞の電気信号を計測することで、細胞のレベルから脳の仕組みや病変を理解するためのモデル作製を目指しています。NTT独自のグラフェン立体変形技術を用いて、8×8点に並べた電極がそれぞれ筒状に変形するチップを作製しました。筒の中に神経細胞を育てると、細胞の塊同士の繋がったユニークな形状の神経ネットワークが育ちます。さらに、細胞の塊が発する電気信号(神経発火)をそれぞれの電極から計測することもできます。脳の構造的な特徴である立体性とモジュール性を模倣したこの神経ネットワークでは、脳の機能に重要な同期と非同期の混合した神経発火パターンが生成されます。

(右)同期と非同期が混合した神経発火の計測結果
図3 培養神経ネットワーク
(4)筒状グラフェンを用いた培養血管モデル
上述したNTT独自のグラフェン立体変形技術は、筒形状を特徴とする他の臓器モデルにも適用できます。変形したグラフェン薄膜の筒内・外の壁面を使って、血管の内壁を構成する内皮細胞と、血管を収縮させる役割をもつ平滑筋細胞を同時に培養することで、細動脈の層構造を一部再現することに成功しました。培養細胞から作る従来研究の血管組織と比較すると細く複雑な構造であり、より細い動脈の現象を可視化するためのモデルになりうると期待されます。

図4 グラフェン立体変形技術を用いた培養血管モデル
想定される適用分野・PoC
オンチップ上に生体機能を再現する技術によって、従来の技術では再現できなかった複雑な生体機能を再現することが可能になるため、精密医療や個別化医療といった創薬・医療分野での応用が期待されます。具体的には、臓器チップを利用した新薬開発や毒性試験の効率化や、バイオデジタルツインによって予測結果を検証するための実機としての活用です。
また、オンチップ生体モデルと最先端の量子技術やナノセンサー技術と組み合わせることにより、生命現象の新たな理解や超高感度なバイオセンシング技術の実現など、基礎研究においても重要な役割を果たしていきたいと考えています。
今後の展望
生体にやさしい材料の合成や加工技術をベースに生体試料を組み合わせることで、より高度な生体の動きや機能をチップ上に再現することを今後も目指していきます。さらに、疾患に関連した細胞と組み合わせることで具体的な医療課題解決のための生体情報を取得するデバイスとしても展開していきます。