IOWNを支える技術解説

我慢しない食と健康の両立に向けた非侵襲グルコースセンサ

ウェアラブルセンサで日内のグルコース値の変化を可視化し,グルコース値の過度な上昇を防ぐための適切な食事,運動習慣の発見をサポート

電波を用いて皮下に含まれるグルコース値の変化をセンシングする技術です。グルコースとは体の中に存在する糖質の主成分であり、健康診断などで耳にする血糖値とは血液中に含まれるブドウ糖(グルコース)の濃度を意味しています。グルコース値は食事や運動などの影響を大きく受けながら1日の中で時々刻々と変化するバイタル情報であり、個々人により食事や運動による変化が異なることが分かっています。本技術を用いて日内のグルコース値の変化を可視化することで、グルコース値を過度に上昇させるような生活習慣を発見し、自身に適した食事・運動習慣を提案するサービスへの活用などが期待できます。

技術背景・課題

NTTでは医療、ヘルスケア分野において個人のバイタルデータ、健診データなど多種多様なデータを収集し、IOWNの構成要素であるデジタルツインコンピューティング技術によりサイバー空間上に自身の緻密な写像を生成し、AIを活用した生体情報処理により個人の特徴に合わせた疾病のリスク予測や要因分析、治療方針の提案などを行うバイオデジタルツイン(BDT:Bio Digital Twin)を提唱しています。BDTの実現に向けて研究開発すべき技術の1つとして、疾病との関連性が高く、かつこれまで取得することが困難であったバイタルデータを取得するためのセンシング技術が挙げられ、その1つとして生体内のグルコース値の変化を非侵襲的にモニタリングする技術に着目しています。グルコースは体の中に存在する糖質の主成分であり、血糖値とは血液中に含まれるグルコースの濃度を意味しています。血糖値は糖尿病をはじめとしたさまざまな疾病との関連が指摘されている重要な生体情報の1つであり、食後に短時間で血糖値が上昇する血糖値スパイクをはじめとした高血糖状態を抑制することが糖尿病や心疾患の発症リスクを低減させることに繋がると考えられています。血糖値は食事や運動の影響を受けながら1日の中で時々刻々と変化していますが、個々人によって血糖値の上がりやすい食事は異なっており、同一人物が同じ食事を摂取する場合であっても食べ合わせや体内リズムの影響を受けてその時系列変化が異なることも分かってきています。

現在、グルコース値の変化は持続血糖測定器(Continuous glucose monitoring system: CGM)や間歇スキャン式CGM(Intermittently scanned continuous glucose monitoring: isCGM)といった医療機器を用いて測定されています。これらのセンサは数mm程度の柔らかい針状の電極を生体内に留置させ、皮下の間質液中に含まれるグルコース値を測定するものであり、糖尿病患者の治療のほか、近年ではスポーツ選手のパフォーマンス管理などにも活用され始めています。しかし、センサを体内に留置する際に穿刺が必要であるほか、センサは約2週間で交換が必要である、といった衛生・コストに関する課題があります。これらを改善することで利便性が高まり、より多くの方の健康の維持に貢献できると考えています。そこでNTTではグルコース値の変化を日々可視化することで個々人が最適な食事、運動習慣を身に付け、食べたいものを我慢することなく健康を維持できるような世界の実現をめざし、穿刺が不要(非侵襲)でウェアラブルなグルコースセンシング技術の研究に取り組んでいます。

非侵襲でグルコース値の変化を測定する技術は様々な機関で研究されていますが、NTTでは電波を用いた手法に着目しています。これは、生体内のグルコース値の変化に伴う生体の誘電率変化を電波の吸収や位相の変化と対応づける手法です。電波は光と比べて波長が長いため生体組織に照射したときの散乱の影響が少ない、無線通信などで培われた電子回路技術を活用することでセンサを小型化がしやすい、といった理由から本手法を用いた研究を進めています。

技術の概要・特徴・内容

腕に装着可能なウェアラブルデバイスによる日々のグルコース値の変化のモニタリングを目標としています。グルコース値の変化は対応する電波の位相に換算すると0.1°オーダーのわずかな変化を検出する必要があります。また、センサを長時間皮膚と接触させていると、温度や水分量などグルコース値の変化以外の要因でも誘電率は変化していきます。これらの課題に対し、小型化と測定安定性を両立した測定モジュールの設計や取得したデータからグルコース値の変化を推定するための信号処理に取り組んでいます。

技術目標・成果・効果

目標としているグルコースセンサの利用イメージを図1に示します。スマートウォッチと同等のサイズのデバイスを皮膚と接触させ、プローブから電波を皮下1mm以下の浅い領域に数分〜10分程度の間隔で照射し、反射されてくる電波を解析することで皮膚内に含まれるグルコース値の変化を推定します。体を傷つけることなく、いつでもどこでもグルコース値の変化をモニタすることで、予期せぬ血糖値の急激な変化の発見、食事等の行動と血糖値の関係の把握などにより、ユーザー自身の行動を変えるきっかけづくりに貢献できると考えています。

図1 ウェアラブルグルコースセンサの利用イメージ

測定原理の検証のために上腕に装着可能なサイズのセンサを作製しました。センサ装着時の写真を図2(a)に示します。センサは電波の送受信、Bluetooth®用チップが組み込まれた高周波モジュール、センサプローブ、バッテリーが一体化しており、腕に装着することで連続的に信号の取得が可能です。本センサを用いてヒトを対象とした原理検証を東京大学医学部附属病院との共同研究により実施した結果を図2(b)に示します。本検証は参加者の腕にNTTのセンサとisCGMを装着し、糖負荷試験薬を摂取することで血糖値の変化を生じさせた際の測定値を比較したものであり、グルコース値の増減が時間遅れを生じながら追従する信号を確認しました。縦軸のグルコース値はisCGMの値からNTTのセンサ出力を校正したものであり、採血不要で絶対値を算出する方法はNTTのセンサに限らず、様々な機関で研究されている非侵襲グルコースセンサの共通の課題となっています。一方で、本結果は1日のグルコース値の相対的な変化をモニタ可能であることを示唆する結果であり、初期のターゲットとして食事や運動習慣などの効果検証や自身に合った食事の探索といったヘルスケア用途への活用が期待できるものと考えています。

図2 上腕装着型のセンサ端末を用いた原理検証結果の例

現在はセンサの更なる小型化に向け、ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社(SSS社)との共同研究により腕時計程度のサイズとなるグルコースセンサモジュールの製作に取り組んでいます。SSS社が開発を進めるベクトルネットワークアナライザ装置を1チップに集積したICを活用することで、現在はグルコースセンサと通信機能を搭載したモジュール(図3a)で3cm角程度のサイズまで小型化に成功しています。このモジュールを搭載した腕時計型のセンサ端末(図3b)については、ヒトを対象とした試験により、センサ性能を検証する予定です。

製作中の腕時計向けモジュールおよびセンサ端末の写真

想定される適用分野・PoC

NTTのグルコースセンサは、針を刺す痛みがなく、気軽に利用可能であることから、糖尿病患者のほか、健康意識の高い方々や特定保健指導の指導対象、糖尿病予備群の方々を対象とした、グルコース値の変化の可視化による個々人に適した食事、運動習慣の提案といったソリューションが考えられます。

今後の展望

現在はグルコース値の変化の可視化を初期の目標として研究開発に取り組んでいます。将来的には電子部品として販売可能なレベルまでセンサの小型化を進め、スマートウォッチをはじめとする様々なデバイスへ搭載することでグルコースセンサの普及をめざします。センサの普及に伴い大規模なグルコース値の変化に関するデータを蓄積できることになり、これにより定量性のあるセンサを実現できる可能性が高まります。定量性が向上し医療機器として利用可能な精度が得られるようになった際には、CGMやisCGMの代替として糖尿病患者の方に痛みを伴わず、QOLを向上するとともに、医療廃棄物の発生しない形で糖尿病の治療の提供に寄与できると考えています。さらには、蓄積されたデータとグルコース値を変化させる食事、行動、睡眠等のデータを併せて用いることで糖代謝に関するBDTの構築にも挑戦していきます。糖代謝BDTにより食事や運動によるグルコース値の変化を予測し、グルコース値を上昇させない食事方法や運動習慣を実践することで、個々人が我慢することなく好きなものを食べながら健康を維持できるwell-beingの実現に貢献していきたいと考えています。