心肺運動負荷試験数値推定技術(AI-CPX)
運動負荷によらずに身体情報から心肺機能や効果的な運動の強度を推定

技術背景・課題
IOWN によって実現するデジタルツインコンピューティングの適用領域の一つに医療・健康分野が挙げられます。バイオデジタルツインと呼ぶ個人ごとの身体のデジタルモデルを用いて健康の維持・管理を行うことで、疾病の予防や早期発見、治療の最適化や予後の改善に役立つことが期待されています。
多くの国で死因の最上位を占めるのが心臓病です。心臓病に罹患後の再発予防や予後の改善には “心臓リハビリテーション” が有効であることが知られています。心臓リハビリテーションは運動療法を中心とする包括的な医療プログラムです。安全で効果的な運動療法の処方には患者ごとの「AT時心拍数」(Heart Rate on Anaerobic Threshold; 運動負荷の増大に伴って体内で無酸素性の代謝が加わる直前の心拍数)が参照されます。また予後予測や運動療法の効果測定には「最大酸素摂取量」(運動中に体内に取り込める最大の酸素量)が指標となります。これらの数値は、通常は運動中の呼気ガス分析に基づく「心肺運動負荷試験」(Cardiopulmonary Exercise Testing; CPX)によって測定されます。しかし、心臓病患者に対してCPXを実施できるのは設備や体制の面から専門病院などに限られており、また限界までの運動が必要になることから、検査の設備や体制があっても実施が難しい場合もあります。
技術の概要・特徴・内容
本技術は国内最多のCPX実施例を有する榊原記念病院との共同研究によって開発されました。同病院において過去に行われた数万例のCPX実施例のデータに基づいて、基本的な身体情報や血液検査の結果などといったCPXの結果以外の情報と、CPXの結果との関係を、NTTが開発した機械学習技術によりモデル化しました。この機械学習モデルを用いて、実際にはCPXを行うことなく、比較的容易に取得できる一般的な身体情報や検査結果のみから、AT時心拍数や最大酸素摂取量などのCPX検査結果を推定できるようになりました。
技術目標・成果・効果
心臓リハビリテーションは、心筋梗塞、狭心症、心臓手術後、大動脈解離、閉塞性動脈硬化症、慢性心不全などの心臓病患者の予後と生活の質を大きく改善することが知られています。例えば、心筋梗塞後の約6年間の死亡数をおよそ半減させ、心筋梗塞を発症しなかった場合と同程度の余命を期待できるといった報告もあります。
心臓リハビリテーションが効果を発揮するためには、正確な運動処方と、その運動の継続が重要です。運動処方における最も基本的な事項の一つは、その人にとって最適な運動強度の設定です。運動強度に関して、診療ガイドライン(日本循環器学会/日本心臓リハビリテーション学会「心血管疾患におけるリハビリテーションに関するガイドライン」)では、AT時心拍数を指標にして運動許容範囲を設定する方法が示されています。一方で、患者がモチベーションを維持しながら運動を継続的に行うことも重要です。そのために、最大酸素摂取量などを指標として運動耐容能の水準を確認することが有効と考えられています。
本技術は、AT時心拍数や最大酸素摂取量など、本来はCPX検査によって測定される数値を、CPX検査を行うことなく推定するものです。このため、過去に行われた実際のCPX検査の実施例のデータを元に、機械学習によって推定モデルを構築しました(図1)。

本技術を用いたシステムの画面例を図2に示します。推定の入力となるのは、年齢や性別といった基本的な身体情報、血液検査結果の数値、超音波検査結果の数値、ベータブロッカーなどの薬品処方の情報などです。入力項目は多岐にわたりますが、これらの全てが揃っていなくても、一部の情報からでも推定を行うことができます(一般的な傾向としては多くの情報を入力すればするほど推定精度は高くなります)。推定結果として出力されるのは、AT時心拍数や最大酸素摂取量をはじめとする、主なCPX検査結果です。ボタンを押すと瞬時に推定が行われ、過去の履歴と合わせて傾向を把握することもできます。

本技術のように、機械学習によりCPX検査結果を推定する方法はこれまで実用化されていませんでしたが、CPX検査の結果数値の中には、簡易的な数式で推計する方法が知られているものがあります。例えばAT時心拍数については、安静時心拍数に20~30を加算して目安とすることや、年齢、性別、安静時心拍数に基づくカルボネン法という数式などが知られていました。本技術によるAT時心拍数の推定値は、これら既知の方法よりも、実際のCPX検査結果との平均絶対誤差が少ない(精度が高い)という実験結果が得られています [1]。
想定される適用分野・PoC
本技術はCPX検査結果を推定するものですので、CPXが実施できる場合には、実際に行う方が望ましいと言えます。しかし現状、CPXが実施できる施設は限られているのが実情です。これに対し、本技術による推定は特別な設備を必要としないため、将来的には様々な医療機関で心臓リハビリテーションのための運動療法の処方に活用できる可能性があります。また、アスリートのトレーニングなどへの適用も想定されます。
今後の展望
医療機関や非医療機関での実用化をめざし、そのために必要な検証や使いやすさの向上などの研究開発を更に進めてまいります。