生物学的CO₂吸収技術
藻類の品種改良によりCO₂吸収量を向上させ、環境負荷の低減に貢献します

技術背景・課題
世界の温室効果ガス排出量は依然として増加傾向にあり、気候変動問題の解決に向けた温室効果ガスの排出削減は急務となっています。通信事業においても、扱うデータ量は今後ますます増加し、情報通信設備の電力消費量、さらに、それを起因とする温室効果ガスの排出量も大幅に増加していくと予想されています。そのため、これに対処する抜本的な排出削減技術が必要とされています。
NTTグループは、環境エネルギービジョンとして、2040年までにNTTグループのカーボンニュートラルを実現するという目標を掲げています。その達成に向けて、IOWNの実現による低消費電力化や、グリーン電力の導入などの取り組みを進めています。その一環として、私たちは、光合成生物の一種である藻類の品種改良によりCO2吸収能力を向上させる生物学的CO2吸収技術を研究開発しています。
技術の概要・特徴・内容
従来の藻類の品種改良は、遺伝子組換え※3やゲノム編集※4が主流でしたが、これらの方法では、標的となる遺伝子を事前に特定する必要があるため、コストや時間を要する課題がありました。また、遺伝子組換え体による自然界や人間への影響はまだ解明されていないことも多く、特に、遺伝子組換え体の屋外培養や食品としての利用には制限がかかるなど多くの障壁が存在しました。それに対し、私たちは、遺伝子組換えではなく、自然界でも起こりうる放射線による変異を起こす方法に着目しました。
これまでに、NTTは、宇宙放射線※5が通信設備や半導体へ与える影響を評価する過程で放射線照射評価技術を確立してきました。この技術を活用し、放射線の一種である中性子線の照射により、有効に藻類の遺伝子変異を導入させる新しい品種改良技術を開発しています。
※1 | 中性子線:中性子は、原子核を構成している粒子です。原子核が核分裂したりするとき、原子核の外へ運動エネルギーを持ちながら中性子が飛び出します。これが、一方向に運動をしている中性子を中性子線と呼びます。 |
※2 | 変異:遺伝子を構成するDNAの塩基配列が本来の配列と変化することをさします。遺伝子変異の結果、遺伝子から作られるタンパク質の機能が改変されます。 |
※3 | 遺伝子組換え:別の生物の細胞から取り出した有用な性質を持つ遺伝子を、その性質を持たせたい生物の細胞の遺伝子に組み込み、新しい性質をもたせる技術です。 |
※4 | ゲノム編集:生物が持つ特定の塩基配列を意図的に切断し、切断されたDNAが修復される過程で生じる塩基配列の変化によって、本来担う機能を改変させる技術です。外来からの遺伝子導入によって機能改変を行う遺伝子組換え技術と異なり、自身が持つ塩基配列のみを変化させるため、従来の品種改良と同様とみなされています。 |
※5 | 宇宙放射線:宇宙空間を飛び交う高エネルギー放射線のことで、陽子が主成分で、他にもα粒子、リチウム、ベリリウムなどの原子核も含まれています。宇宙線は宇宙空間では、電子機器や人体へも影響を及ぼします。地上では、宇宙線が地球の大気と反応して発生した中性子によって、電子機器が稀に誤動作を起こす可能性があります。 |
技術目標・成果・効果
これまで、放射線を利用した品種改良の多くは、ガンマ線※6や重粒子線※7などが用いられてきました。しかし、これらの放射線は水分が多い培養液中での透過性が低く、照射しても培養液中で生育する藻類細胞の大部分に変異が入らないという課題がありました。それに対して、私たちは、これまで確立してきた放射線照射の評価技術を活用し、電荷を持たず、水分が多い培養液中でも他の放射線に比べて透過性が高いと期待される中性子線を用いることとしました。
中性子線を細胞に照射すると、遺伝子上にランダムに変異が入り、それによって細胞の性質が変わることがあります。しかし、中性子線の種類や照射条件と導入される変異の関係は明らかではありませんでした。そこで、高エネルギー中性子線※8と熱中性子線※9の2種類の中性子線を藻類に照射し、中性子線の最適な照射条件と遺伝子配列変異の関係性を解析しました。
その結果、以下に示すように、最適な照射条件およびその条件下で導入される変異パターンの解明に成功しました。
成果1:中性子線照射条件の最適化
単細胞性の藻類であるシゾン※10の培養液に、高エネルギー中性子線と熱中性子線の2種類の中性子線を照射後、特定の遺伝子に変異が生じた細胞だけが生存できる手法を用いて変異導入率を評価しました。その結果、図1に示すように、高エネルギー中性子線の場合は20 Gy※11、熱中性子線の場合は13 Gyを照射した際に、最も効果的に変異が導入されることが明らかになりました。これにより、高エネルギー中性子線と熱中性子線のそれぞれにおいて、吸収線量※12と藻類の遺伝子変異導入効率の関係性を初めて明らかにしました。

※縦軸は照射の際に出現したコロニー数の最大値を1とした際の相対値として示している
成果2:最適化された照射条件で導入される変異パターンの解明
中性子線を照射後に成果1で変異導入が確認された株※15と、照射していない野生株の遺伝子配列を比較し、特定の遺伝子について変異パターンを解析しました。その結果、図2に示すように、どちらの中性子線を照射した変異株も、1塩基配列※16の置換・欠失・挿入が全体の約9割を占め、2塩基配列以上の変化は約1割であることが明らかになりました。ガンマ線照射の研究例※17では、2塩基配列以上の変化が約3割となるのに対し、今回の結果では約1割であるため、中性子線照射が引き起こす変異パターンが現行の手法とは異なる可能性があるという新たな知見が得られました。

※6 | ガンマ線:放射線の一種で、波長がおよそ10pmよりも短い電磁波のことです。 |
※7 | 重粒子線:質量が重い粒子線のことをさします。ヘリウム、炭素、ネオン、アルゴンなどの粒子線が該当します。 |
※8 | 高エネルギー中性子線:高い運動エネルギー、つまり高速で移動する中性子のことで、ここでは、光速の10%程度の中性子のことを示します。 |
※9 | 熱中性子線:5meV(2200m/s)付近のエネルギーの中性子のことです。中性子が物質中で散乱を繰り返すと、その物質の原子の持っている熱運動エネルギーと平均的に等しくなるので、「熱」中性子と呼ばれます。 |
※10 | シゾン:正式名称はCyanidioschyzon merolaeで、イタリアの温泉で見つかった単細胞性の紅藻(海苔の仲間)。真核生物として初めて100%の核ゲノムが決定されるなど、モデル藻類、モデル光合成真核生物として用いられています。 |
※11 | Gy:放射線によって物体に与えられたエネルギーを表す計量単位で、物質1kgにつき1Jの仕事に相当するエネルギーが与えられるときの吸収線量を1グレイと定義されます。 |
※12 | 吸収線量:放射線照射によって物質が吸収するエネルギーのことであり、ここでは、細胞が受ける放射線の影響の尺度を示します。 |
※13 | 寒天培地:寒天を主成分とする培地で、藻類などを培養するために利用されます。 |
※14 | コロニー:寒天培地などに出現する単一細胞由来の細胞塊のことで、ここでは、生残した耐性株の数をさします。 |
※15 | 株:微生物や微細藻類などにおいて、同一系統の集まりをいいます。 |
※16 | 塩基配列:DNAやRNAなどの核酸において、それを構成しているヌクレオチドの結合順を示したもの。この場合は、DNAであり、アデニン、グアニン、シトシン、チミンから構成されます。 |
※17 | https://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1009979 |
想定される適用分野・PoC
以上の通り、私たちは、中性子線照射により藻類に効果的に遺伝子変異を導入できることを確認しました。今後は、この技術をもとに、CO2吸収能力の向上をめざした品種改良を進めていきます。
環境問題及び食料問題の同時解決を目標に、2023年に設立されたNTTグリーン&フード株式会社(以下「NTTグリーン&フード」)では、環境に配慮した藻類の生産・販売、環境にやさしい藻類を餌にした魚介類の生産販売、そして、それらの藻類や魚介類を生産する循環型の陸上養殖システムの開発・提供といった事業を構想しています。その他にも、NTTグループでは、複数の事業会社が陸上養殖事業に参画しており、私たちが研究開発しているCO2吸収能力の高い藻類は、これらのフィールドで魚介類の餌として利用されることを想定しています。
さらに、将来的にはIOWNのDTCを陸上養殖向けに構築し、藻類や魚介類などの生産かつCO2の吸収・長期固定をサイバー空間上で未来予測しながら効率的に実現していきます。
今後の展望
本技術は、藻類によるCO2吸収量の向上のみならず、藻類が有する有用成分の向上による健康食品への応用や、藻類が有するバイオマスの向上によるバイオマス燃料生産への応用などがいろいろと期待できます。
このように、藻類を含めた光合成生物の品種改良により、環境課題、健康課題、エネルギー課題などさまざまな社会課題を貢献していきたいです。