2015/09/15
NTT物性科学基礎研究所(以下、NTT物性研)と東京大学大学院工学系研究科は共同で、光子伝送の誤り率監視を行うことなしに安全性を確保する量子暗号を世界で初めて実現しました。
本成果は、総当たり差動位相シフト(round-robin differential phase shift: RRDPS)方式と呼ばれる量子暗号方式を実験により実証したものです。この結果により、不確定性原理に基づく従来の方式と異なり、波束の収縮※1を安全性の原理とした量子暗号を世界で初めて実証することができました。本実験により、従来方式で必須とされてきた送信者と受信者との間での定期的な誤り率監視が不要な量子暗号が実現されたことから、簡便かつ効率の高い量子暗号システムの実現に向けて大きな可能性が広がることが期待されます。
今回得られた成果は、2015年9月14日(英国時間)に英国科学誌「ネイチャー・フォトニクス」で公開されました。
本研究の一部は内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の山本喜久プログラム・マネージャーの研究開発プログラム「量子人工脳を量子ネットワークでつなぐ高度知識社会基盤の実現」の一環として行われました。
[ UPDATE / Sep. 30 2015 ]
Video: Experimental quantum key distribution without monitoring signal disturbance
私たちの生活の中でインターネットの重要性が増している昨今、情報通信のセキュリティの重要性は一層高まっています。近年、通信のセキュリティを確保する究極の技術として、量子力学の原理に基づき秘匿通信を行う量子暗号が注目を集めています(図1)。量子暗号は、光の量子力学的状態(量子状態)に暗号鍵をエンコードして送信する量子鍵配送(quantum key distribution: QKD)によって2者間で共有した秘密鍵を用いて暗号通信を行うものです。QKDにより送信された暗号鍵は量子力学の原理に基づき安全であるため、将来いかに技術が進展しても安全な通信を行うことができます。QKDは、既に欧州や日本で大規模なネットワーク実験が行われ、これを用いたTV会議のデモがなされるなど、既に実用に近い技術に成長しつつあります。
従来のQKDは、例えば情報を光の最小単位である光子の量子状態に載せて運ぶことで、「情報を読むと量子状態が乱れてしまう」というハイゼンベルクの不確定性原理※2(以下不確定性原理)によりその安全性が守られています。具体的には、暗号鍵の情報を光子の量子状態に載せて伝送するため、途中で第三者が盗聴すると量子状態が壊れ、その結果鍵伝送に誤りが生じます。よって、テストビットを用いて送信者と受信者の間で継続的に鍵伝送の誤り率を観測し、その値により第三者へ漏洩する可能性のある鍵の量を見積もり、その結果を用いて光子伝送により得られた鍵を圧縮することで、安全な鍵を生成します。すなわち、従来のQKDにおいては、盗聴を監視するために誤り率を常に観測する必要がありました。昨年、今回の発表機関の一つである東京大学のグループらにより、従来のQKDと異なり、その安全性が不確定性原理によらず、波束(量子状態)の収縮に基づく新しい原理のQKD方式であるRRDPS方式が提案されました(東大、国立情報学研究所のニュースリリース)。本方式によると、誤り率監視の不要なQKDの実現が期待されるため、実験による検証が待たれていました。
今回、NTT物性研と東京大学大学院工学系研究科が世界で初めて実現したRRDPS方式は、従来のQKDと異なり、漏洩しうる情報量がはじめから一定の値に抑えられていることを特長とするQKD方式です(図2)。具体的には、RRDPS方式においては、複数の光パルスに光子が存在しうる量子状態を用いて暗号鍵を伝送しますが、漏洩する可能性のある情報量は光パルスの数のみにより決定され、誤り率に依存しません(図3)。よって、使用した光パルスの数から決まる盗聴の可能性のある鍵の量に応じて、光子伝送により得られた鍵を圧縮することで、誤り率を監視することなく安全鍵を生成することができます。 今回得られた成果を用いることで、QKDシステムにおいて送信者と受信者の間でテストビットを用いた定期的な誤り率の監視を省略することができるため、QKDシステムにおける送受信者間の制御情報の簡略化と、生成された鍵をテストビットとして消費しないことによる鍵生成の効率化を実現できます。また本成果は、不確定性原理によらずに全く新しい原理でどんな盗聴に対しても安全な鍵配送ができることを世界で初めて証明した実験であり、QKD研究の新たな展開を促すことが期待されます。
今回の実験では実験系の制約上、遅延時間は4通りに制限されていましたが、RRDPS方式では遅延時間の数を増やすと伝送距離、ビットレートなどの性能が飛躍的に向上することが予測されています。NTT研究所では、RRDPS方式の次世代のQKD方式としての可能性を探るべく、NTT研究所の強みである光導波路技術を用いて、100程度の遅延時間を任意に選択できる総当たり位相差測定を実装し、性能向上を図るなどの基礎研究を行っていきます。また、東京大学大学院工学系研究科では、ImPACT研究開発プログラムの一環と して、今回実証された新原理に基づく量子暗号方式が潜在的に持つと考えられる、短いセッションでの高効率性、雑音に対する耐性などの特性を追求し、量子セキュアネットワーク構築を目指していきます。
H. Takesue, T. Sasaki, K. Tamaki, and M. Koashi
"Experimental quantum key distribution without monitoring signal disturbance"
Nature Photonics (2015) (DOI: 10.1038/nphoton.2015.173).
※1 ... 測定における波束の収縮
量子力学では、測定のたびに測定結果が変わり、予想がつかないということが起こります。例えば光子のいる場所の測定の場合、測定する前は、光子の場所を特定できず、波のように広がっていると考えますが、光子の場所を測定すると、ある特定の場所に光子が出現したように見え、これを波束の収縮と呼びます。どの場所に出現するのかは、測定するまで誰にもわかりません。このように、量子力学は、本質的な不確実性をもっています。
※2 ... ハイゼンベルクの不確定性原理
物質や光がどのような性質を持つのかを知るために観測を行うと、いかに優れた測定器を使っても、観測された対象がその観測行為の影響を受けて変化してしまう、という量子力学の性質です。
※3 ... 光子検出器
通常の光検出器は多数個の光子を含む比較的強い光のみ検出しますが、光子検出器はたった一つの光子でも検出できる装置です。