2014/10/06
NTT物性科学基礎研究所は、シリコントランジスタ※1中に存在する電荷の閉じ込め状態であるトラップ準位※2を介した単電子転送(電子を一つずつ正確に運ぶ技術)の高速化に世界で初めて成功しました。
この単電子転送技術により一つの方向に正確に転送された電子の流れは、精度の高い電流として取り出せるため、近年提案された電流の基本単位であるアンペアの再定義に繋がる高精度な電流源(電流標準※3)への応用が期待されます。さらに、従来の精度を凌駕する高精度化を図ることで新しいSI単位系での電流の高精度化を実現すると、電気標準分野・計測産業分野に貢献すると考えられます。
この成果は、2014年10月6日(英国時間)に英国科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」で公開されます。
なお、本研究の一部は、内閣府及び独立行政法人日本学術振興会による最先端・次世代研究開発支援プログラム(GR103)の助成を受けて行われました。
NTT物性科学基礎研究所では、電荷量の最小単位である電子を一つ一つ操作し、検出する技術の研究を進めています。単電子デバイスはその省エネルギー性と高い電荷感度のため超低消費電力情報処理回路や超高感度センサなど極限エレクトロニクスの実現が可能として注目されており、NTT物性科学基礎研究所では、これまでに安定性と再現性に優れたシリコンを用いた単電子転送素子や単電子検出素子の動作を実現してきました。
一方、国際単位系(SI) ※4での電流の基本単位であるアンペアは、質量の基本単位を定めているキログラム原器※5の廃止とともに再定義されることが2011年に提案され、高い注目を集めています。新しいSI単位系では、これまで測定値であった電気素量eを固定値とし、その値から電流標準によってアンペアが設定されますが、電子を一つずつ正確に運ぶことのできる素子である単電子転送素子はeとアンペアを直接的に結びつける(図1)ため、究極的な電流標準として利用できると期待されています。 単電子転送素子の多くは人工的に作られた微細な領域(単電子島※6)に電子を捕えることで、転送を制御していますが、転送精度向上には単電子島を微細化し電子を捕えるためのエネルギー(電子付加エネルギー※7)を大きくする必要があります(図2)。しかし、半導体素子の微細化技術には限界があり、精度向上の壁となっていました。
NTT物性科学基礎研究所では、これまでに培ってきた単電子操作技術を高い精度と信頼性が要求される電気標準分野へ適用するため、研究を進めてまいりました。
今回、NTT物性科学基礎研究所は、シリコントランジスタ中に存在する極めて微細な閉じ込め領域を持つトラップ準位(図3、図4)を利用した、最高動作周波数3.5ギガヘルツの高速単電子転送(測定温度17ケルビン※8)に世界で初めて成功しました(図5)。この単電子転送のエラー率※9は電流計で計測可能な最小レベル(~10-3)以下でした。この高速でのエラー率は、現在研究が進められている単電子転送素子の中でも極めて低い値です。さらに、理論的予測では絶対温度10~20ケルビン、周波数1ギガヘルツでエラー率が10-8以下(電流標準としての目標値)になることが見込まれ、高い転送精度を持っている可能性も示されました。
標準化可能なレベルの高精度単電子転送の実証実験を行い、電流標準の実現を目指します。また、従来の精度を凌駕する高精度化を図ることにより、新しいSI単位系での電流の高精度化を実現し、電気標準分野・計測産業分野への貢献を目指します。また、今回の技術はトラップ準位に限らず他の局在準位を介した転送にも適用できるので、意図的に導入した不純物原子の準位を利用することにより、素子歩留りの向上が期待できます。そのような技術による歩留りの高い電流標準の実現のみならず、さらに長期的には、素子の集積化により電子1個の操作に基づく超低消費電力情報処理へと応用し、低エネルギー社会への貢献も目指していきます。
G. Yamahata, K. Nishiguchi, A. Fujiwara
"Gigahertz single-trap electron pumps in Si"
Nature Communications (2014).
※1 ... シリコントランジスタ
半導体のシリコンを利用して作製された、電気信号のスイッチや増幅を行うことのできる素子。今回は、シリコン上に絶縁膜(シリコン酸化膜)を介して形成されたゲート電極に電圧を印加することによりシリコン中に流れる電流をON-OFFさせる、電界効果トランジスタを利用しています。
※2 ... トラップ準位
原子サイズの構造に起因して自然に形成される、電荷を捕獲可能なエネルギー状態。シリコンとシリコン酸化膜の界面に存在する界面準位やシリコンの結晶欠陥に起因する欠陥準位等があります。
※3 ... 電流標準
電流の基本単位であるアンペアの基準となるもの。現在、アンペアは真空中で無限に長い2本の導線に同じ大きさの電流を流した際に働く力により定義されています。しかし、この定義通りの実験をすることは困難であることなどから、SI単位系の再定義では、電気素量eを固定値としアンペアを設定することが提案されました。
※4 ... 国際単位系(SI)
時間(秒:s)、長さ(メートル:m)、質量(キログラム:kg)、電流(アンペア:A)、熱力学温度(ケルビン:K)、物質量(モル:mol)、光度(カンデラ:cd)の7つの基本単位を定義し、その他の単位をこれらの組み合わせで取り扱う、国際的に採用されている単位系。国際単位系(SI)の再定義では、基本単位を定義するのではなく、基礎物理定数を固定値とし、それを基にして基本単位を設定する方法が提案されました。
※5 ... キログラム原器
白金イリジウムという合金で作られた分銅で、現在質量の定義として用いられています。国際単位系(SI)の再定義で特に注目を集めた点がキログラム原器の廃止でした。キログラム原器の質量が表面汚染により劣化することが問題となってきており、長期安定性を確保するために普遍的な質量の定義を行うことが望まれてきました。新しい定義では、プランク定数を固定値としキログラムを設定するとされています。
※6 ... 単電子島
微細な島構造であり、構造の持つ電子付加エネルギーが熱に起因するエネルギーの揺らぎより十分に大きく、一定数の電子を蓄積できる構造。蓄積できる電子数は外部からの印加電圧によって制御することが可能です。
※7 ... 電子付加エネルギー
ある領域に一つの電子を付け加えるために必要なエネルギー。その値は主に電子の静電気的な反発に起因する帯電エネルギーと、電子の閉じ込めに起因する量子力学的なエネルギーで決定されます。電子付加エネルギーは領域のサイズが小さいほど大きな値を持つことになります。
※8 ... ケルビン
温度の単位。0℃は273.15ケルビンに相当します。
※9 ... エラー率
正確には相対エラー率と呼ばれる。単電子転送を1回行った際に、転送エラーが発生する確率。例えばエラー率10-3とは1000回の転送で平均1回のエラーが発生することを意味します。
※10 ... 電流プラトー
電圧を変化させても電流値がほとんど変化せず一定値を取っている領域。