運動能力転写技術

施策概要

人の運動は,脳からの運動指示が筋肉に伝達され,筋肉が収縮することで実行され,その結果を刺激として感覚器を通じて脳が知覚・認知し,新たな運動の計画・指示を繰り返します.これに対して,センシング個所とフィードバック個所の組合せと,具体的なセンシング手法とフィードバック手法により運動支援する内容が変化します.運動能力転写技術は,この人体における通信や制御に対し,主に脳波や筋電位等の生体信号のセンシングに基づく解析や電気刺激フィードバックにより支援する技術です.現在,脳から筋肉への運動指示とその結果である運動に対するセンシング・介入として,筋活動(筋電図),運動状況のセンシングとそれに基づく筋電気刺激(EMS)による運動支援(介入)に取り組みを開始し,さらに,感覚器からの入力に対する脳における知覚のセンシング・介入として,運動の基本である姿勢制御において重要な,視覚,体性感覚,前庭感覚に着目した取り組みを行っています.

取り組み紹介

運動能力転写技術の応用として,新たなかたちの教育・トレーニングに取り組んでいます.通常,特に運動の教育・トレーニングにおいては,指導者やトレーナーと生徒は同じ空間に対面で存在し,言葉や身振りなどによって指導を行っています.これに対し,生体情報のセンシング・介入による運動能力転写技術によって,時間や物理的な距離にとらわれずに指導できるのみならず,対面での教育・トレーニングを超えた,より効果的な空間(リモートワールド)の実現をめざします.リモートワールドにおけるトレーニングの事例として,ピアノの2種類の奏法の支援技術を紹介し,その技術を活かした遠隔指導を記載します.

運動能力転写技術によるリモートトレーニングの概念図です。

運動能力転写技術によるリモートトレーニングの概念図


トレモロ演奏の支援技術
ピアノの奏法の1つに,複数の高さの音(例:ミとド)を交互に小刻みに弾くトレモロ演奏があります.この演奏において,初心者と熟練者では腕の筋肉の使い方が異なり,初心者は指を動かすことを意識するが熟練者は手首を回転させることを意識するといわれています.この差異,すなわち筋活動の差異に着目し,EMSを用いることで熟練者の筋肉の使い方を初心者の筋肉に直接伝える技術に取り組んでいます.熟練者の効率的な身体の動かし方を身体で直接学習することができ,前腕の無駄な力みを減らして演奏することができるようになることを確認しました.

Cメジャー・スケール演奏の支援技術
ピアノの奏法の1つに,ドレミファソラシドを順番に弾くCメジャー・スケール演奏があります.この演奏では,各音符を同じ長さ,同じ速度で弾けることが指標となっています.パイロットスタディでは,初心者より専門家の方が均等に演奏し,特にレミファの弾き方に顕著な差がありました.この差は,ミからファを弾く時の親指の指くぐりの弾き方の違いでした.そして,指くぐり時にどの筋肉を協調して動かしているかを分析したところ,三角筋の筋活動に差異がありました.この差異に着目し,EMSを用いることで熟練者の筋肉の使い方を初心者に直接伝える技術に取り組んでいます.熟練者の指くぐりの動かし方を身体で直接学習することができ,各音符の均等性が向上して演奏することができるようになることを確認しました.

Application
これらの技術を基に,リモートワールドにおけるトレーニングに向けたシステムコンセプトを開発しました.例えば,熟練者側が電子ピアノでトレモロ演奏すると,その演奏情報がMIDIデータで送信され,初心者側では,受信したMIDIデータに基づいて腕に接続されたEMSが介入します.このシステムにより,熟練者の動作に合わせて手首の回転を交互に繰り返すようEMSが提示されます.また,熟練者のCメジャー・スケール演奏の弾き方のコツとなる指くぐり時の三角筋の収縮情報を事前に収集し,初心者が,その情報をダウンロードすると,演奏時の指くぐりをするタイミングで三角筋にEMSが提示されます.熟練者は単に音声や映像で指導するのみならず,システムを通じて熟練者の奏法を直接体験させながら指導することができ,双方にとって新たな指導・学習体験を実現します.今後に向けては,片手の演奏だけでなく,両手の演奏を支援するシステムとして検討を進めています.このシステムにより初心者でも滑らかで質の高い演奏が可能となるように支援することをめざしています.

今後に向けて

今後は紹介した技術の研究開発を進め,各種技能・スポーツにおいて熟練者の筋肉動作を筋電気刺激で再現するトレーニングや,日常動作において自身の運動記録を基にしたリハビリテーションなど想定する利用シーンの実現に向けた取り組みを継続します.蓄積された技術的強みを活かすとともに,社内外の専門家との学際的な連携を通じ,技術実現および運動能力拡張・支援により誰もが自分自身をより良く運動制御できる世界をめざします.また,運動能力転写技術で取り組んでいる各種センシング・介入技術を基に,リモートワールド時代における新たなかたちでの教育・トレーニング実現に向けて取り組みを進めます.

アクティビティ紹介

※文献リストはサイバネティックスのページに掲載しています.